道中漂流記

将来の夢はそぞろ神

帰納→演繹のポケモン構築理論

厳選が怠かったので作成

 

0.市井の構築理論と環境推察のズレ

 かれこれポケモンを始める10年余り立つ。

その間、あらゆる優れたパーティ構築論が世に出されたが、どの論も根っこから教えることは無く、末葉だけに重点を置いたものであった。 

 例えば、Aが流行るからBを入れろ、という論があったとする。これではAが流行っていることは誰にも分かるものの、その背景が伝わらないし、BがA以外のポケモンに有効であるかの根拠付けも明らかではない。

 一方、これから取り上げる私論は少なくともそういった背景を理解できるだけの潜在能力を秘めていると思う。10年間もやってきたのだ。そこそこ慧眼でなければ、揚々とこんな記事は書かんだろう。

 

1.構築理論における帰納→演繹

 ポケモン構築の要は普遍性にある。世の構築の基本である、流行りのAに対して、対策のBを入れることで環境変化に合わせるというスタンスは実に尤もらしいが私は嫌いである。というのは、定期的にパーティの入れ替えをするのがとても面倒くさいことこの上ないからである。

 一方で、普遍性のある構築を1つ作れば、その点検はだいぶ先延ばしに出来る。そして、このような構築を作る為には帰納→演繹を用いる必要がある。それはどのような内容か?  

 簡単に言えば、全体の内、選んだ集団の中のポケモンの中から偏りを見つけ、その偏り、即ち共通点を抽出する。と言っても、全てのポケモンに共通点が存在することは殆ど無いので、最大公約数を探すことになるが。 

 そして、最大公約数を抽出したら、それらに対する駒aを探し、無事見つけられた場合、今度は選んだ集団内のポケモンとの有利不利関係を再度、具体的に照らし合わせる。すると、どうしても其の駒aでは不利になるポケモンが出てくるはずなので、それらに対して強く、aをサポートできる新駒bを見つける。

 常識的に考えて、このaはいわゆる構築の軸と呼ばれるポケモンであり、またaとbは相性補完に優れた関係である。そして、aとbの共通の溝を埋めるcを見つける。こうして固めていき、構築が出来上がる。

 次の4体目のdは裏エースと呼ぶ。この構築の性質上、a.b.cの何れかが仕事を遂行できずに倒れると、負担が倍増するという特徴を持っている。とりわけ、aが潰れるとかなり戦局が不利に傾く。これは軸を設定する以上は仕方のないことである。故に、dはabcとは独立した、関係の薄いポケモンが好ましい。

 

2.私論の陥穽

 この論にも当然、欠点や陥穽が存在する。

一つは、この論の作成者がダブルバトルを長々とやっていたので、思考がダブル寄りになってしまっている点である。ダブルバトルは場に複数ポケモンがおり、処理速度がシングルに比べ速い。その為、コンボや積み、時間稼ぎといった概念があまり存在せず、有っても滅び、トリルくらいで、ある意味とても単純である。それ故に、これもそういったシングルの複雑な諸要素を度外視してしまっている単純な論である。  

 この陥穽の対策としては、軸のa、補佐のb、aとbの共通の溝を埋めるc、独立したdの他の、残りの2体を対応役に置くことである。シングルならdも不要であるので、その分余裕が出来るかもしれない。

 

3.結び

 本当はこの論を用いてサンムーンの対戦環境を推測したり、ストーリーの評価もしたかったが、体力が底を尽きた。硬い文章を書くと、スタミナの減りが速い。そのおかげか、最後の方は論理が破綻してる。

 因みに軸が一体のみである必要は無く、2体で設定することもできる。その辺りは読者の自由だ。サンムーンの対戦環境が前作のような魔境にならない事を祈ろう。あー、私もカントーに行きたい。では。

 

 

 

モンスターハンタークロス 総括

 この一年間、凡そ1600時間をモンハンクロスに費やして得たことをここに少しずつ書こうと思う。

 

1,ちびっこについて

 最近、定期的に、毎日のようにアカム部屋を立てている。すると必ずちびっこがやってくる。ゆうたという彼らの代名詞はもはや有名すぎてちびっこ判別には役に立たないらしく、我々は新たな判別方法を模索せざるを得なくなった。そして、模索の果てに判別材料を見出したのだった。

  • アカム一式或いは塵滅刃に素白武器
  • エリアルスタイル
  • 狩人のオアシス

  この3つが新たな判別材料になるだろう。アカム一式の鈍器使いスキルを見事に潰す素白武器、そして以外にも塵滅刃の武器、防具を揃えているちびっこの多いこと。地獄刑にも等しいような防具作成に同伴した面々の苦労が偲ばれる。南無。

 また、彼らはエリアルスタイルが大好きである。そのバッタの如く跳ね回る精神は古来(mh4)より魂に刻まれていると言わんばかりである。彼らの中には意外にも乗りが得意な奴もいるらしく、乗り名人無しで古龍からダウンを取る程である。エリアル古龍乗りも到底私には出来ない真似なのでその点においてだけは尊敬している。

 狩人のオアシス、彼らの狩技枠は殆どこれである。とりわけネットか何かでまともな装備、スキルを揃えた隠れちびっこを判別するのに最も役立つものである。なぜネットから学ぶという能動的な行いができたのにもかかわらず、狩技の頁だけを見逃してしまったのかと小一時間問い詰めたくなる。どうせソニブラを避けられないなら、絶対回避臨戦でも入れといてくれと願う。背負っている虚しげな素白武器も少しはいきいきして見えることだろう。

 唐突だが次にちびっこの精一杯の努力について書こうと思う。ゆうたの烙印を押されたちびっこはその性質を現在進行形で変えている。ここでは主に私が観察した彼らの変化の代表例を2点挙げることにする。

  • ♪の活用
  • 深夜帯への参入

  ♪の活用に関しては、正直愕然とした。♪の与える柔和な、穏やかな、女性的な印象というものを彼らは遂に理解したからである。玄人の間で、当人が穏和であるという意思表示を見事に一字で表した♪は、いつの間にか共通記号として広く使われるようになり、♪本来の意味が剥がれた結果、我々はそれを判別材料として利用することができなくなってしまったのである。ああ、由々しき。

 第二の努力とは、彼らが夜に順応し夜行性化したことである。即ち、深夜帯という玄人だけの聖域に魔の手が及んだのである。これは言うまでもなく死活問題である。なぜ深夜帯まで奴らの世話を焼かなければならないのか。対策として制限ランクを上げて、ちびっこを弾くことも出来るが、それでは可愛い初心者までクモの巣に引っかかってしまう。それ故に安易に制限をかけられないのだ。私はただ可愛い可愛い初心者と穏和な狩りをしたいのだ(少しだけ啓蒙活動もしたい。)ちびっこの夜行性化はモンハンの世界においては大問題である。ちびっこはちびっこらしく宿題して風呂入って寝なさい。理性が備わるまでは。

 

だれしも、ちびっこの時期はある。

だから先輩として言わせてもらう。

半年ROMってろ。

郷土史探訪📖

今回は実際行動していないので本マーク。

別に本を読んだ訳でもないが。 

概略

1,阿見神社の簡素な説明

2,これからの探訪の方向づけ

以上の2点について書き書き。

 

1,阿見神社

 阿見神社は、先日述べた楯縫神社と並んで旧信太郡の二大拠点となった神社とされている。阿見町の名前の由来もここからであろうう。阿見町の竹来に鎮座しており、三間社流造りで神社の周りを森が囲っている、いわば鎮守の森である。祭神は武甕槌命、普都大神、天児屋命であり、鹿島神宮の傘下のようなものであるが、武甕槌命以外の神も祀っている訳ありな神社である。因みに天児屋命春日大社の権現である。

 ところで、この阿見神社は阿見町に2つ存在しており、もう片方は阿見町中郷に鎮座している。そちらの阿見神社は参道が非常に長く、竹来の阿見神社よりも規模が大きい。竹来のそれが、

 

阿弥神社の創建は六〇七年、推古天皇(五 九三~六二九)の年代と伝えられる。創建 当初より社格の高かった神社であり、この 神域を取囲む日本杉の荘厳な樹叢は植樹期 に関する確かな文献はないが、伐採した切 株の年輪から推定すれば三〇〇年以上の歳 月を経ていることは明かである。しかも千 数百年の昔より、守護神として郷土の人び との信仰の的となってきた阿弥神社の尊厳 をいやがうえにも支えてきた貴重な樹叢である。

 ふろむ社頭案内板

 

という曖昧な創建記述であるのに対し、中郷のそれは

 

創建は和銅元年(708年)。

崇神天皇18年(紀元前80年)、豊城入彦命崇神天皇の勅命による東国平定で当地に訪れた際、「皇祖の天下を経営せらるるや阿彌普都、実に能く天業を補弼せり、其神功成るに及びて天に還りしと、蓋し是地に於てするや」と常陸国風土記に記された普都大神の事蹟を偲ばれた。この御言葉が信太郡阿彌郷、ひいては阿見町の由来になったという[2]。この伝承を縁故として、和銅元年(708年)に祠を建てて皇子を祀り、阿彌神社と称した。

 ふろむwikipedia

 

 という抜け目なくはっきりとした創建の記述である。また、中郷の阿見神社は、祭神として豊城入彦命を祀っており、もう片方とは異なる。因みに豊城入彦命崇神天皇の息子である。となると、何かおかしい。より古い竹来神社が創建されたのは607年、しかし、豊城入彦命が、普都大神の仕事を評価した時は紀元前80年であり、大きなタイムラグが発生する。というのは、信仰心を具現化した神社という装置が機能する凡そ700年以前から伝承が存在していて、且つ統治が目に見えるほど浸透していたのである。じゃあその普都大神の統治は神社が創建される前の700年の間、その威をどうやって維持していたのか。

 私は、このたいそう適当な年代設定の真偽はさておき、普都大神による統治体系の維持が装置無くしてどのように遂行されていたのかに興味を抱いた。というのも、信太郡の2社の辺りには、特徴的な原始信仰の陰が見られないからである。(若しくは私が見つけられていないだけ、霞ヶ浦がそれなのか?)

 例えば、諏訪大社なら、大社の信仰に混同されたミサクチ神を祀るモリヤ山が存在するし、宗像大社もそのような歴史がある。

 

2,これからの探訪の方向づけ

 

以上より、統治の維持についての発見が今後の探訪のゴールであろう。ただ、余りにゴールばかりを追っていても、達成は遠くなるばかりなので、まずは未だ知識が足りていない2社の祭神とその祭神を祀る豪族について調べてみることにする。そこから、信太郡の支配者やその支配圏が分かれば、まぁ十分な成果だろう。

 

それでは

 

 

郷土史探訪🚲

最近、お熱の郷土史探訪。

 

 気分の良い月曜日はロードバイクに乗って、郷土史探訪をしている。風を浴びながら常陸国風土記の記述を元に南方や東方に行くと、新たな地理に根ざした信仰の跡を見る。そこで、ここにメモ書き程度に様々な発見を残しておく。 

 

・東方、旧信太郡での発見

 霞ヶ浦の舌部分にある阿見町、現代では何かと不便でマイナーな場所であるが、古代においては、信太郡と呼ばれた土地領域の中でも取り分け中心地であったらしい。阿見美浦に鎮座する2つの神社がその生きた根拠である。

 ・懸社 楯縫神社

・二宮 阿彌神社 

 

 楯縫神社は懸社であり、美浦に行く県道付近にある。布津主を祀っており、同神を祀る香取神宮とは関係がありそうである。というか、ある。楯縫の名の由来は常陸国風土記に記されている。

 

碓氷から西に行くと高来たかくの里がある。昔、天地の初め、草も木も言葉を語ったころに、天より降り来たった神があった。名は普都ふ つの大神といひ、葦原の中津の国(この付近のことらしい)を巡行し、山川の荒ぶる神たちを和めた。それを終へて天に帰らうとして、身に着けてゐた厳(いつ)の鎧・矛・楯・剣、手に付けてゐた玉を、すべて脱ぎ捨て、この国に遺して、天に昇り帰って行った。

  http://nire.main.jp/rouman/sinwa/hitatihudoki.htmより抜粋

 布津主は、武甕槌命と並ぶ軍神である。まぁ、説によっては同一視もされている。布津主の布津は、剣で切ったときに出る音と言われている。これも諸説あるが。血飛沫の音、現代の"ブシャー"の古代版みたいなものか。なんせ、この神はエピソードが少なく、もう片方の武甕槌命に比べると性格、気質がよく分かっていない。そして古事記にも登場しない。

 しかし、出雲国風土記日本書紀には登場しており武甕槌命同様、出雲の神だということが分かる。今回の探訪の発見はそこにあった。つまり、古代出雲国には楯縫群という地域が存在していたことを。

 


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 http://izumonokunifudoki.blogspot.jp/2015/08/blog-post_8.html?m=1より抜粋

 

阿彌神社の概略と楯縫群、楯縫神社との関連については、また気が向いたら記事にする。

そういえば

 

そういえば

 twitterを始めました。

理由は、新聞契約を解除した為にチラシが無くなってしまったのと、長文をブログで書く体力が無く、短文で乱発した方が楽だという2点からです。はい。 

今後とも宜しく願います。

 

夕さらば@masumi_mirror

 うーん、名前がしっくり来ないなぁ

二元世界と向き合う

二元世界と向き合う

左右、上下、信疑と、あらゆる事象は二元的世界観で構成されてますね。原発問題や消費税等の政治・経済社会問題にまで発展します。同様に、文化に包括されるような名作、傑作というものは二元世界の中で困り果てた挙げ句、片方を選び取る、、、という物語の構造を成しております。決断するというのは非常に難しい作業であります。その典型例といえば、「蟲師」ですね。詳しくはここでは述べませんが。逆に、二者択一の過程を放棄した名作といえば、2011年に放送された「魔法少女まどかマギカ」が挙げられます。殊に、まどかマギカを名作に押し上げた10話、11話の評価は二元世界での選択に対する期待から生まれました。ワルプルギスの夜には永遠に勝つことが出来ない、しかしまどかを契約させればワルプルギスには勝てるがまどかの魔女化が確定し、QBの思惑通りになるため、独りでワルプルギスの夜を対峙するより外にない。この二元的世界観をどう解消するかに視聴者の熱量は注がれていました。そして、ハードルの下を潜れるまでに上がった最終回を見終えた視聴者は任期満了で派遣切りに会った派遣労働者のように呆然としたのでありました。それもそのはずで、二元世界に新しい三の風が吹いたからなのでした。三の風とはつまり、まどかの概念化ですね。三の風をポケモンで表せば、カイオーガグラードンに対するレックウザですね。三の風は二元世界での選択を放棄させました。視聴者はとてもがっかりしたのですが、そもそも、「まどかマギカ」以外でも三の投入はしばしば行われてきました。例えば、インド神話の破壊と再生の外に維持が加わった三柱の構造や、物語でいう共存、救済などがこれに当たりますね。放棄すらも含まれます。2011年以降、ビビドレ、ウィクロス、幻影を駆ける太陽、結城友奈などポストまどかマギカ作品は乱造されましたが、二元世界に留まって決断をした作品は1つも存在しませんでしたね。しかし、2011年の作品を洗っていたところ偶然にもまどかの解答となる作品、つまり二元世界で決断をしきった作品があったんです。そのアニメとは「c」というあの花の影に隠れたノイタミナ作品でした。

今更、去年の紅葉を語る

 夏の休暇が終わりを迎え、暑さを残した秋が来たと思いきや、11月頃には寒いと思うまで冷えた日もあった去年の秋。
不意に紅葉を見たいという気にかられ、いつものように大学をサボって都内の2ヶ所ある紅葉スポットに足を運んだ。その記憶や記録。

一ヶ所目 京王百草園

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 京王線の広告に此処が載っており、なおかつその広告に写る紅葉がとても綺麗だったので行くことに。しかし、11月の中旬にも関わらず紅葉は2分咲きほどであり、入場料に300円を払ったのは馬鹿であった。上の写真は辛うじて色移っているとおぼしき紅葉を撮影したもので、意外と私的に好きな写真である。隣で同じ構図の写真を撮っていたじいさんと縄張り争いをしながら撮った一枚故に印象に残っている。一方で庭の中央にある池の景色はなかなか見物であり、その周辺の木の裏に張り付いていた蝉の脱け殻は季節外れの間抜けキャラを演出しており、ある意味感心。案の定単位は落としたとさ。

二ヶ所目 高幡不動尊

 2分咲きでは紅葉を見た気分にならなかったので、同じく京王線沿いにある高幡不動尊で開かれていた紅葉祭りも行こうと決意。結局、行動に移せたのは11月の瀬の雨夜であったが、寺のあちこちに配置されていたライトのお陰で紅葉の色もくっきり見えたので、それはそれでよかった。ちなみにこの祭りの開催期間には駅から不動尊までの道のりに灯籠がところせましと並べられていて綺麗、と言いたいところだったが、雨降りのなか作業員が必死に火を絶やさぬように点け続けている様を綺麗というのは無理があるので、まぁ、お仕事御疲れ様です。といったような感想を抱いた。


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お気に入りの一枚。

 赤黄色へと自在に色を変える様はまさしくゲッコウガ。左の篝火に重厚さを与えている。ありがちな構図といったら、誠にその通りといわざるをえないが、意外にも自分で撮ってみると、なんだか達成感にまとわりつかれ、見る度に顔がにやける。キャンプ場で食うカレーは美味しい理論の一種だろう。雨夜の紅葉散歩も粋。紅葉散歩をしたのは祭りの最終日だったので、屋台の売り子が店を畳む
のにも哀愁を感じた。秋を哀れむ心境とはいかに。

んじゃ、この辺で