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道中漂流記

将来の夢はそぞろ神

自然崇拝に臨む古代の心象

戯言

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引用元 
http://www.sumiyoshitaisha.net/place/honden.html


1.概要と中二病について

ソシャゲやマンガなどに出てくるキャラクターの名前が実は各国の神話や民間伝承を元にしているということは今更言うまでも無いことである。また、それらは自分が凡庸であるということを認めたくない時期にある中学二年生くらいの男子生徒にとって、自分の特異性を見いだす宝物のように感じられるかもしれない。
その時期に歴史や神話を学問として探究しようと思えたのなら、そいつらはいつか、考古学や宗教学、歴史学文化人類学の道に進めるかもしれない。いわゆる中二病は嘲りを受けるような病では決してないということだ。但し、いつまでも病を引きずっている末期患者には心の底から嘲笑し、侮蔑すべきである。

2.神話はどのように作られるか

愈々本題である。第一章はただの小噺と思ってよい。次はタイトルの通り神話の源流についてである。ここでは神話を科学的に考察するものであり、神話を神話としては見ない。次に神話や伝承の生まれを分類すると大きく4つに分けられる。

1.支配者や統治者の権威を絶対化するために作られた装置

2.天災などの復興作業に尽力し、民衆のリーダーとなった者が神話化

3. 2でリーダーが存在せず被害を被ったまま、復興出来なかったのが神話化

4.天災は神の怒りなどという根拠もない非科学的な風潮に抗った者が伝承を綴った。

私が考えるに、1番は作り物でそれ以外はすべて事実である。特に4番はニーチェルサンチマンに似ていて、合理的であるが、文明発展途上的で呪術信仰の中から抜け出せていない。


ところで、台風により去年の広島土砂崩れに続き、今年も茨城の鬼怒川が決壊するという大規模な自然災害が立て続けに起きている。何かの縁を感じた私は広島土砂崩れをググった。すると、その場所には民間伝承があったことが分かった。

以下、八木村に伝わる香川勝雄の蛇退治伝説である。


享禄5年(1532年)、まだ勝雄18歳の頃、香川氏の所領である八木荘(現・安佐南区八木)に怪物のような大蛇(龍とも言われている)が阿武山の中腹から出没し、八木荘を荒らし回っていた[1]。勝雄は主君の香川光景に大蛇退治を志願し、同年2月27日(陽歴3月25日)に一人で阿武山に登り中迫という地点で巨大な大蛇を義元の太刀で退治して、一躍勇名を馳せた。しかし大蛇は退治される寸前に勝雄に呪いを掛け、盲目にしてしまった。困り果てた勝雄は、近くにある湧き出た泉で目を洗うと、その目が見えるようになった。その後、その泉は眼病に効く霊験あらたかな水として知られる(御奇良功水=ごきろくすい)[2]。勝雄がきった大蛇の首が初めに落ちたところを刀延(たちのぶ)、二度目に飛び入ったところを、大蛇の首から流れる血が箒のように噴きつつ飛んだので箒溝(ほうきみぞ)、最後に飛び入ったところは大蛇の血で池となり、その池の中に深く隠れ入ったというので蛇王池と
称えるようになった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E5%B7%9D%E5%8B%9D%E9%9B%84

wikipedia 香川勝雄の頁から引用

この八木村のあたりは蛇落という場所であったが、今では名前を変えて上楽となっている。八木蛇落悪谷という名はとくダネがでっち上げたデマ報道だが、全体がデマだったわけでない。蛇落が上楽に変わっていたのは真であった。ここで
この伝承について考える。さっきの分類を元にするとこの伝承は2番に該当すると考えられる。蛇の首から出た血は水害の比喩であり、水害から村を復興する運動のリーダーとなった当時の権力者である香川勝雄が治水作業を成功させたというエピソードを伝承にまで格上げしたのである。

3.人外に対するルサンチマン

しかしながら、私はこういった2番の例は少なく、現実は4番が多数だと考える。先述の通り、4番はニーチェルサンチマンに似ている。
ルサンチマンとは、被支配者が支配者に憎悪の情を持ち、力では負けたが、奴らよりは道徳面では優れているという思考に行き着いた結果、支配者を非難することである。
では、支配者が人間でなかったら、話はどうなるか。そして人外であるゆえに道徳的な優越感に浸ることが出来ない被支配者はどうするか。私見だが、おそらく彼らは架空の神話(人側が自然災害の象徴を倒すストーリー)を作り上げただろう。古代において、地理的に孤立していた日本は内乱の領地争いを除いて、国外の人種に領土を侵略されるということがあまり無かった。しかし、その代わりに
台風や豪雨、地震などの天災に見舞われることが多かった。自然(カミ)との調和やそれらへの畏怖なんてものはあったとしても、それを疑った古代人もいたはずである。例えば、大津波で大量の人間が死んだとする。それをカミの怒りだと考えた古代人は、海神の機嫌を取るために鐘を海に投げ込んだり、神事を作り、果ては生け贄まで捧げたとする。しかしながら、毎月行っていたにも関わらず、また大津波が来て、村民の殆んどが死んでしまった。この時、村民に一種の怒りが
生まれるのは当然のことであったと考えられる。そうして、生き残った民で記紀を書いたり後世にその話を伝えたりして出来たのが神話や伝承なのだろうと私は思う。

4.最後に
この記事に関する考察はすべて書き手の妄想を元に書かれたものである。4つの分類も書き手が考えたもので、学問的な根拠はない。人外ルサンチマンも同様である。そして、私は古代人の信仰心や神を批判するつもりは全くない。大変長いうえに、蛙鳴蝉燥であるが、ポケモンの記事より力を入れて書いた力作なのでぜひ読んで、どうぞ。