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道中漂流記

将来の夢はそぞろ神

純日本式 即身仏製造法

前の記事はもう書く気が更々ないんや、すまんな。

ある日、淫夢動画を見ていた私は大便乗先輩の有り難きお言葉「そうだよ…」の広義的解釈である「僧だよ…」から即身仏とは何かを詳しく調べたくなり、即身仏について少しばかりの勉強をした。以下はそのまとめ及び考察を述べることにする。


概要

即身仏とは、平安時代空海が発展させた日本独自製法で作り上げるミイラのことである。その製法は世界でも指折りに入るほどのドMプレイを要する。苦行は無意味だと悟った釈迦とは真っ向から対立しており、仏教の本義を見失っているものの、ここまでして人々の平穏を願う姿勢は圧巻である。現代に蔓延る拝金主義の仏教団体はいつから自分達はコスモロジーを捨てて、資本主義の飼い犬になってしまったのかと泣いて詫びるべきである。折伏などしている場合があったら、さっさと湯殿山のミイラに会いに行くべきである。

2.即身仏製法

次に即身仏製法を述べることにする。
即身仏になるために空海が編み出した製法は現代の感覚からすれば、キチガイに両足突っ込んでいるようなものである。ここでは山形県湯殿山で行われていたミイラ製法を書くとする。

1,五穀断ち

これは穀物を絶つ、つまり炭水化物を摂取しないことにより、自分の肉を削ぎ落としてミイラになりやすくするための減量である。僧達は五穀断ちの間、場所によって変わるがおよそ3年の間ずっと山で取ってきた木の実を代わりに食べた。東北地方は飢饉が多かったという地理的条件もミイラ製法の発展に寄与していたのではないかと考えられる。

2,野山疾走

山伏の修行はご存知の通り、山々を練り歩いたり滝行をしたりするのだが、即身仏になる場合は山々を歩くのではなく疾走するのが慣例となっている。期間はおよそ3年間にしてとても長く、極寒の中での修行は万死に値するものである。1の五穀断ちと並行して行われ、だんだんと身が削られていくのが目に見えたであろう。ここまででチュートリアルは終わる。

3.木喰

五穀断ちを終えたら、次は木喰である。
木喰とは、文字通り木を食べることであり、木の実を食べる代わりに松の木の皮などをバリバリと食べ始める。うーむ、狂気の沙汰である。失礼極まりないが、私はこの木喰を想像した時、まず最初に餓鬼が浮かんだ。仏になるという高尚な目標を持ち、そのために苦行をしている僧達なのだが、痩せこけた姿で必死に松の樹皮をバリバリ食べている様子はどこから見ても餓鬼の画である。ここまで来たらポケモンでいうジムバッジを8個集めた状態である。

4,漆飲み&湯殿山の神泉

上記の過程を終えたらば、いよいよ土の中に入って皮と骨だけになって仏になるのを待つ。とは言え、その前にある程度の作業をする。まず始めにやるべき事は漆の茶を飲むことである。これが非常に大切である。というのも、即身仏はインドにおけるミイラ製法とは異なり、脳みそも心臓も取り除かない。では、どうして死体を腐らせずにミイラとなることができたのか。それは先程の漆が防腐剤の役割を遂行できたからである。そもそも死体が腐る原因のひとつは、体内のバクテリアであり、僧は漆を飲むことでバクテリアを殺した。飲んでは戻すの繰返しであったようだが…。また、同じくらいに大切なのが湯殿山の神泉の水である。実は、体内のバクテリアを殺すだけではまだ即身仏にはなれない。なぜなら、もうひとつの原因である蛆虫の対策が不十分だからである。死体に沸き上がる蛆虫を弾くヒ素が無い限りはミイラを作ることはほぼ不可能である。だが、湯殿山にはあったのだ。すなわち、御神体の泉が。泉の水にはヒ素が含まれており、これを摂ることで蛆虫を遠ざけることに成功したのである。湯殿山を含む出羽三山付近に即身仏が固まっている理由が何となく分かってくる。こうしてインドの製法のように脳みそや心臓を抜き出すという荒業をせずともミイラになることができたのである。一体、空海兄貴は何人の僧を犠牲にしたのかは知らんが物凄い話である。というのも、漆も泉のヒ素空海の発案とされているからである。

5,土中入定

いよいよ殿堂入り目前である。後は土の中で仏になるのを待つだけである。このとき、僧は自分の生存報告も兼ねて毎日鈴を鳴らす。そして、鈴の音が無くなったことを合図に仲間の僧が通気孔を閉じて3年間放置し、時が経ったら即身仏を寺に運んで仏として崇め奉る。以上で長かった全過程が終了する。しかし、この土中入定の過程まで行ったものの、途中で精神に異常をきたして暴れまくった結果、保存状態が悪くなり、仏とは言えないような所謂コンクリートの中のセミともいえるミイラも多々あるらしい。悲しいなぁ…


次回は即身仏コスモロジーを語る。