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道中漂流記

将来の夢はそぞろ神

千と千尋の神隠しを見る

 

 数学はもうちっとも分からぬ。社会に出てまで必要になるとはつゆも考えていなかった。数学なんぞは義務教育のうちに徹底的にやらせ、逃げ道など作るべきでは無いのだと、そう思った。ああそういえば先週、15年ぶりに見た映画、千と千尋の神隠しがなかなか面白かったので、今日はこの映画について書くことにしよう。

 

1.千と千尋の神隠しというタイトル

 千と千尋の神隠しは有名な映画であり、日本人なら誰でも知っていることだろう。因みに、英ではspirited awayというタイトルになっている。spiritedが一般動詞の過去なのか、それとも過去分詞なのかは分からぬが、いずれにせよ主語は隠されている。これが、主語を省略する日本語の癖を意識しているのは慥かのようである。一方で、日本語のタイトル

は言わずとしれた‘’千と千尋の神隠し‘’である。このタイトルも何か引っかかるものがある。千と千尋は同一人物であり、普通は分ける必要がないのだ。つまり、このタイトルは千と千尋が別々の人間であると暗に示している。だが、物語を通して見ても、別々の人格を見せるような描写は特に無い。千尋の名を取られ、千として湯屋の一員となり、幾多の苦難を乗り越えることで成長し、名を取り返して再び千尋に戻るという安易な説明は用意できるものの、腑に落ちない。タイトルの意味が分かるまで物語を良く見直さねばならない。

 

2.物語の原型

  千と千尋の神隠しの物語を一行で言えば、それは現代少女を主人公にした‘’貴種流離譚‘’である。

  貴種流離譚とは、民俗学者折口信夫が提唱したものである。以下、説明。

‘’説話の類型の一。若い神や貴人が、漂泊しながら試練を克服して、神となったり尊い地位を得たりするもの。‘’ 

          コトバンクより引用

 このコトバンクの説明は少し大雑把である。神や貴人がなぜ試練を受けるのかについての説明がすっぽり抜けているからだ。別のを引用してくるべきだった。つまり、神や貴人は何か地位が失墜するようなことをやらかしたのである。それ故に、試練を受ける羽目になるのである。

 千と千尋の神隠しはまさにこれに則っていると言える。貴種流離譚という旧来のパターンを踏襲しつつも、主人公を神や貴人ではなく、普通の少女としているところに工夫が見られる。溌剌としていて、落ち着きの無い10の少女を主人公とすることで、映画全体が動的となる。その一方で、偶に来る静的なシーンがその対比として映える。行きずりの電車に乗っている場面などがそうであろう。

 ところで、貴種流離譚は権威づけには王道の方法であった。なぜなら、自らが低俗な身となったことで被支配者の同情を誘い、苦を乗り越えてより高い地位を獲得することで、力で地位を築き上げたことを証明できるからである。古事記におけるスサノオ神武天皇の東征などに見られる。スサノオは八坂神社や氷川神社の祭神として有名だが、明治期の廃仏毀釈運動、神仏分離令の発令以前は八坂神社は牛頭天王が主神であったし、氷川神社といえばアラハバキであった。

 閑話休題千と千尋の神隠しは親の暴食のせいで働く羽目になり、そこで試練、おクサレ様の禊役を受け、また銭婆の印鑑を返しに行く。それらは、貴種流離譚そのものであったという話をした。

 千と千尋の神隠しはその他にも様々なモデルを借りている。今述べた神話もその一例である。この映画の物語がいかに古典や神話をよせ集めたものであるかは、文化人類学や宗教学、民俗学を修めた人間なら一目瞭然であろう。では、そのような人間がこの作品に惹き込まれてしまうのは何故か。それは、この作品が旧来の神話を用い、しかしそのまま完全な模倣で終わらせずに、ジブリなりのアレンジを加えるからである。この凝らされた技巧に気づいた時、改めてこの映画にいたく感銘するのである。 ヨモツヘグイや鬼神論、境界論等。就中、映画のラストシーンにおいてその技巧は最も分かりやすく表出されている。いわゆる‘’見るなの禁‘’という有名なモデルが用いられているのだ。

 見るなの禁は、禁室型とも呼ばれる神話の類例の一つであり、記紀の黄泉平坂のくだりや西欧で言えばオルフェウスの物語に代表される。その内容とは以下のとおりである。

 死んだ女を追いかけて男は彼岸に行き、女を此岸に戻そうとて、交渉する。その時、女側は一つだけ条件を設ける。それは、此岸似戻るまで決して振り返るな、という内容であり、いずれの神話も出口付近まで僅かのところで男は必ず後ろを振り返ってしまう。振り返ったとき、男が目にした女は、生前とは思えぬほどに醜い姿をしており、彼岸に閉じ込める。そして、永遠の離別をするのである。

 例外はあるものの、だいたいはこういう筋である。さて、千と千尋の神隠しのラストシーンといえばハクが千尋に此岸までの道案内をし、別れ際に‘’振り返ってはいけないよ‘’と言い聞かせたシーンが特徴的である。その後、千尋はどうしたか。千尋は道半ばで振り返りそうになるが、忠告を守り、振り返るのを辞めるのである。これは‘’見るなの禁‘’を踏襲しながらも、少しアレンジを加えていることを象徴している。振り返るのを辞めたとき、銭婆から貰った髪結びがきらりと光るのも心憎い演出である。

 

後記

 この記事もそうだが、説明部分には色を付けたりして、見やすくしたいものだ。AmebaブログやFC2では普通に出来るんじゃないかと常々思う。あと画像の引用元を書かねばならぬのが面倒でたまらない。はてなブログで一括してそこら辺の権利問題を考えずに済むようにしてくれないかと願う。実は、色つけも画像引用の無許可制も私が知らぬだけで、既に解決されているのかもしれない。白を切り続けよう。今回はもうこれ以上書く気がしないが、電車の客やカオナシの謎、境界については今度、気力があったら書くことにする。今回からおすすめの書籍を最後に紹介するコーナーを設けてみた。

 

おすすめの一冊

谷崎潤一郎 陰翳礼讃 

f:id:zarathustran:20170129160407j:image

http://cocoon-web.jugem.jp/?eid=30

引用元

 陰翳が人を覆い、部屋を覆う。人間は闇と共に生きてきたらしい。まぁ、闇がどういうぐあいになるか、試しに電燈を消してみることだ。